NHK Eテレで放送されていたタローマン。岡本太郎の太陽の塔をモチーフにした怪人?が暴れ回る不思議な物語です。まさかの映画化。大阪・関西万博が開催されている今だからこそでしょう。
日曜日の夕方、映画館は満員。もう少し早く観に行きたかったのですが、その時間しかチケットの予約ができなかった、という盛況ぶり。鬼滅の刃やジュラシックパークのようにシネコンのいくつかのスクリーンが使われているわけではありません。それでも、こんなにもタローマンを好きな人がいるのか、とちょっと驚きました。
相変わらずの”昭和真ん中らへん感”満載の映像。ストーリーの中でも2025年には博覧会が開催されるのですが、2025年は秩序が最優先されている世界で、1070年のような「でたらめ」は許されない、窮屈な世の中になってしまっている。でもね、秩序だけじゃダメよね、でたらめも必要よね、というのがテーマでしょうか。
2025年の博覧会に出てくるパビリオンは実際のものとは違いますが、一瞬、大屋根リング的なものが見えたような気が?
1970年の万博では大屋根を突き破った太陽の塔が印象的でした。平板な何かを突破して空に問いかける未来の顔、塔の真ん中にある現在の顔、そして背中に過去の顔。塔の内部には進化の歴史。長い地球の歴史の中で培われてきたものを内包しつつ生命のバトンを受け取った私たちが、過去、現在、未来になにを見るのか、なにを突破し未来に向かっていくのか、そんなエネルギーに満ち溢れた時代を象徴しているように見えます。
一方、2025年の大屋根(リング)は、木材が秩序通りに組み上げられた丸く優しいもの。来場者に日陰を提供し、その下のベンチで休憩し、自販機で飲み物を提供してくれるものでした。それを突き抜けるシンポルは、今回の万博にはありません。
1970年の大屋根は無くなりました。2025年の大屋根リングも残すのはほんの少しだそうです。でも、太陽の塔は潰せない。
昭和の時代、すなわち私がまだ幼かった頃、岡本太郎のことは、「芸術は爆発だ!」と叫んでいる変わり者のゲージュツ家として扱かわれている変なおじさん、としか理解できていませんでした。でも10数年前に都内で開催された展覧会に行き、その作品や言葉に触れ、初めて岡本太郎の凄さに気づきました。そして私の岡本太郎に対するイメージを誘導したであろう大人たちを恨んだりもしました。さらに旧アトリエに行ったり、残っている言葉を読んだりしてその世界観を堪能しました。
タローマンにも、岡本太郎の作品や言葉がたくさん出てきます。もちろん、見るとなんとなく面白い、だけでも充分ですが、岡本太郎に関する情報があれば、たまらない作品です。もしかしたら、ただなんとなく面白い、と感じている人も、どこかで奥深くにある何かを感じ取っているからこそ、なのかもしれません。